思考と欲望の狭間

Twitterじゃできないような頭の整理や日常のことを

グッバイ・ママ

昨夜、母親と喧嘩をした。最初は些細なことだったけど、いつの間にか今まで溜まっていたものが全て出てきた。

 

心の中で見下していることも、どれだけ歪められたのかも、一度も心を開いたことがないことも、お前のような親には絶対にならないってことも。

 

喧嘩というより半分くらい絶縁だった。本当に絶縁はしてないけど、心の中ではハッキリと母親との繋がりが切れたことを感じた。

 

虐待なんかされてない、いたって普通の家族。確かに母子家庭で収入も少なかったけど、あまり不自由はしなかったし、大学にも行かせてもらえた。

 

それだけでも感謝するべきだけど、自分が悩んだ時、辛かった時、いつも自分と向き合ってもらえないという感覚が僕の傷として、憎しみとして残っていた。

 

自分の親を憎みたくなかった。見下したくなかった。知ってるもん、親なりに愛してくれてるって。子どものことを考えてくれてるって。悪意なんてない。それはただの行き違い。

 

だから言わないでおこうと思った。言ったって何かが変わるわけじゃない。傷が癒えるわけじゃない。お互いに辛い時期だったし、まあ仕方なかったんだなって、高校生の頃までは勝手に納得していた。

 

でも成長して、一人の大人として親と向き合って話すようになると段々変わってきた。親がしたり顔で「どう子どもと向き合うべきか」とか「家族のあり方」とかを語るのを聞いていると、胸の奥にしまっていた憎しみが沸々と湧き上がってくるんですよ。

 

「じゃあお前は俺に何をしたんだ?」

 

その思いは止まらなくなって、これはもう時間の限界だなって感じた。もう幸せな親子に戻れないかもしれない。もしかしたら死んでしまうかもしれない。そんな思いがブレーキをかけていたけど、親を「親」としてではなくて「一人の大人」として見れば見るほど、憎しみは高まっていった。

 

僕がひとしきり言ったあと、母は泣きそうなのか怒っているのか分からない顔で言った。

 

「私が全部悪かったんだね。一生かけて償わないといけないんだね」

 

「そりゃそうでしょ」

 

冷たい言葉が出た。でも違和感は無かった。

 

もう多分元には戻れないなって。幸せな親子にはなれないなって。どちらとも悪意は無かったし、単なる行き違いが原因だった。誰も悪くなかった。だからこそ哀しかった。でももうしかたない。この哀しさを受け入れていくしかない。もう僕は大人になってしまったから。

 

当然だけど、どんな親のもとに生まれるかなんて、もう運です。ガチャでしかない。他の家族に羨望の眼差しを向けても、ありえたかもしれない「IF」なんて考えても、今の僕は変えられない。誰も幸せにならないんですよ。

 

親の負の遺産を自分たちの子どもに引き継がない。それだけですよ、僕ら子どもができることって。