思考と欲望の狭間

Twitterじゃできないような頭の整理や日常のことを

「何者にもなれない恐怖」 凡人の凡人らしい悩み

かなり青臭い文を書きます

 

 

 

 毎晩、寝る前になると「”何者”にもなれない恐怖」が襲ってくる。「自分は唯一無二の存在になれないんじゃないか?」という恐怖が、「今日一日、お前は何ができたんだ?」とセットで襲ってくる。

 

 まあ多分みんな多かれ少なかれ同じようなことは思ったことあるだろうし、「別に何者にもなれなくても楽しい人生が送れたらいいんじゃない?」って言われるだろうけど、僕にとっては生きるか死ぬかの問題になる。

 

 欲しいものを全てを手に入れてしまい、人生に満足してしまった僕は、あまり生きることに執着心が無い。むしろ何の夢も目標も無くだらだらと見苦しく生きていくならさっさと死んだほうがマシだとさえ思っている。だから「何となく生きる」という選択肢が残されていないし、「今ここで綺麗に人生を終わらせる」か「唯一無二の存在である”何者か”になる」の二択しか残されていない。今死なずに済んでいるのは、「いつか”何者”かになれる」という淡い希望を捨てきれてないからだと思う。

 

 生きる意味を見つけるために、人生に満足してしまった瞬間から”何者”かになるための自分に一番向いていることを探し始めた。その手始めに「自分が一番になれる趣味」を探し始めた。まあ一番って言うと勝ち負けの話みたいだけど、ここでは「自分にしかできないことがある」ってぐらいに思って欲しい。

 

 だから興味が湧いたものは全部手を出した。演劇、音楽、写真、映像、落語。どれも始めたうちはとても楽しい。しかしやっている内に全身全霊で熱中できてない自分に気づく。そして段々と「これは俺が本当にやりたいこと、向いていることじゃないんだろうか?」という思いが膨らんでいく。そして嫌になってやめてしまい、次の「自分に向いているかもしれないもの」を探し始める。それを繰り返して「自分には何もできないのか?」という思いだけが積もっていく。そんな感じでここ数年間はだらだらと過ごしてきた。まあおかげで中途半端に色んな分野の知識は付いたし、楽しくはあった。

 

 けど一年後には就活が迫っている。そろそろ自分の人生の方針をちゃんと考えなければいけない。趣味で何か秀でたものがあったら、仕事を続けながら創作活動などをして”何者”かになれる可能性はある。しかし現状それが全く無い僕は、”何者”かになれるかどうかは就職に直結してしまう。だから自分にしかできない”天職”を見つける必要が出てきた。

 

 「天職なんてほとんどの人は見つけられないまま生きていくよ」と多くの人は言うだろうけど、じゃあ後に待っているのはやりたくもない仕事を何となく定年まで続け、その間に何となく余暇を過ごし、何となく死んでいく人生なのか?そんな人生に興味はない。もう十分やった。それをやるなら今ここで幸せな気持ちで死んでいったほうが良い。

 

 もう僕にはほとんどの人が描くような「仕事を適度にこなしながら空いた時間を趣味や好きなことに費やす」という人生は送れない。「自分にしかできない仕事に就く」か「何百万円もの奨学金と共にさっさと死ぬ」のどちらかをあと一年ちょっとで選ばなければいけない。

 

 演劇も音楽も写真も映像も落語も自分の武器にできなかった僕は、趣味を仕事や生きがいに直結させようとするのではなく、「自分にしかできない、他人や社会のためになる仕事に就く」という考えにシフトし、その最後の抵抗として大好きな勉強を少しずつやっている。本を読めば読むほど知識はついていくし、自分が成長を止めてないことを実感できる。勉強ならいつか誰かのためになると信じてやっていける。まあそれでもほとんどの人は勉強したことを活かせないまま生きていくんだけど、そうならないよう信じて毎晩「”何者”にもなれない恐怖」に怯えながら続けていくしかない。生きていくためには。