思考と欲望の狭間

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記号消費って

ブログの方針を転換して早々、イキリちらした長文を書きます。恥ずかしいね。


以前講義の試験問題で「記号消費はまだ行われているか」というものがあった

記号消費ってのはボードリヤールって人が提唱した「商品はその形や機能性よりも、それに付随したブランドやイメージ等の記号の価値で判断されるようになった」ってものなんだけど、まあ僕は肯定的に書いた。僕だってカフェやレストランに入る時はどれだけオシャレな内装か気にするし(味は第一だけどね)、同じ人は少なくないと思う。

でも問題は、記号消費そのものは変わらなくても、「求められる記号」が変わってきたんじゃないかなってこと

記号消費が提唱された当時に考えられてた記号ってのは、もっぱら「おしゃれ」とか「かっこいい」みたいな感情を起因にするイメージと、高級ブランドや老舗の「歴史の長さに裏打ちされた信頼」だったと思う。そして確かにそれは今でも変わってない。インスタ映えするものは売れるし、なんだかんだヴィトンやシャネルは今でもみんなの憧れだ。

でもその色んな記号の中で最近比重を増してきているのが「今の生産者の姿勢」じゃないかな。オシャレさもブランドも大事だけど、「作っている人が何を考えているか」ってのがすごく重要になってきてる気が何となくする。「商品そのもの」のイメージじゃなくて、「生産者そのもの」のイメージが。

どんだけ良いもの作ってても、作ってる企業がブラックで社員が自殺しているから買わない、とか。逆に別にめちゃくちゃすごいものじゃなくても、仲が良い友達が作ってるから買っちゃう、みたいな。

なんというか、生産者と消費者の心理的な距離が近くなった気がする。その要因は分析してないからハッキリ分からないけど、インタラクティブなコミュニケーションができるインターネット(意識高そうな文面だ)が登場したのが一つだと思う。だから消費者を物を売りつける相手じゃなくて、末永く付き合っていく知り合いみたいな感じで考えることが大事なんじゃないかな。

でその「生産者の姿勢」ってのを消費者はどこで読み取るのかって話だけど、まあ色々あるんだろうけど、やっぱり一番大きいのは広告じゃないかな。企業としての姿勢をメッセージとして一番上手く伝えられる。今年のバレンタインデーで話題になったゴディバの広告が良い例じゃないかな。

www.huffingtonpost.jp


本当に理想的な広告って感じ。すごくかっこいい。僕はチョコは詳しくし彼女いないから買ったことないけど、もしあげるとしたら多分ゴディバ買っちゃうと思う。

「広告はラブレターと同じで、好きな人に思いを届けるためにラブレターの文面と、どこで、どのタイミングで渡すかを一生懸命考える必要がある」ってゼミの課題図書に書いてあったけど、まさにそんな感じだなって思う。

逆に本当にクソみたいな広告だったらもうそれだけで商品も嫌われちゃうんだよね。あれだよ。あのスクロールしたら付いてくるあのウザい広告。あれなんてもうどうやったら思いつくんだってくらいに最悪な広告だよね。もう広告そのものがウザいし、どんなに面白そうなゲームでも、あの広告に載ってる時点でダウンロードする気失せるね。「ああ、こういうことしちゃうんだな」って一気に冷める。

まあ要するに生産者の姿勢ってのが重要視されてきているから、ちゃんと誠実な広告を作ったほうが良いよね〜って話なんだけど、あの付いてくるウザい広告とか、最近流行りのいきなりLINEグループに招待されて変なブランド物を宣伝されるあれとか、「とりあえず見せときゃいいだろ」って広告まだいっぱいあるんだよね。マジでさ、少しは広告勉強してくれ。絶対売る気無いだろ。そこらへんの本齧ればすぐ分かるんだからさ。いつまでやってんだ。マジで、ウザい広告みんな死んでくれ。