思考と欲望の狭間

Twitterじゃできないような頭の整理や日常のことを

渋谷と秋葉原が嫌い

僕はうんざりするほど渋谷と秋葉原という街が嫌いだ。

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 何が嫌かって、あの人の量、暑苦しさ、汚さ…あらゆる人間のカオスの集合体のようなものがあれらの街には感じ取れて、何か用があって駅を降りるたびにうんざりした。それにそこに集まる人も苦手だ。渋谷といえばウェイやパリピが集まる街。秋葉原といえば根暗オタクが集まる街。確かにそこには偏見があることも自覚しているが、あれらの街は雰囲気からしておかしいことを肌で感じる。一方銀座や日本橋はとても居心地がいい。整然とされた街並み。品を感じるお店。大音量のBGMが垂れ流されたり、馬鹿騒ぎする若者や外国人たちが居なかったり、静かで良い。三重や長崎という田舎で生まれ育ってきた自分にはそれがちょうど良いと思った。

 

 しかし大学生活に入ってから東京に行く機会が多くなり、それらの街に度々行く中で、一つのことに気づく。これらの街がカルチャーの発信地の最先端であることを。カルチャーといってもウェイ系やパリピにすぐ結びつけられるああいう類のものだけではない。演劇、映画、音楽、ファッション、ゲーム、アニメ、伝統芸能。ありとあらゆるものがごちゃ混ぜとなって一つの"空気"を生み出している。例えば渋谷といっても、新国立劇場では最新の演劇やダンスから、不朽の名作と呼ばれるものまで全てが観れるし、Bunkamuraではロンドンのナショナルシアターで演じられた作品を観ることができ、ユーロライブでは落語さえ観ることができる。若者から年配までありとあらゆる人々が集まり、そこでカルチャーを貪っている。渋谷や秋葉原には最先端のカルチャーがあり、それにありとあらゆる人が惹かれ、またそこで新たなカルチャーが生まれる。その循環がある。

 

そこで僕は気づいた。僕がそれらの街で感じていた人間のカオスこそが、新しいカルチャーが生まれる温床になっていることに。

 

 確かに整然とされていないそのカオスからは心地よく美しいものも生まれるが、ノイズも多い。虫唾が走るようなものさえある。しかし最先端のものをいち早く味わうためには、そこに行くべき他ない。一方ノイズを聞きたくなければ、静かでカオスが無い場所に行くことだってできる。そこに行けば完成された美しいものが並んでいる。そしてそこにずっと居続けるのも良い。しかし高い学費を払ってメディアを学び、新しいコンテンツを作り、世の中に新しい価値を与えようとしている僕らはどうだろうか。確かにコンテンツだって若者だけのものではなく、年配に向けたものものある。そしてそれだけを作っていけば良い。しかし、言葉は悪くなるが、いずれ死に行く年配たちに合わせて作ったコンテンツで世の中に新しい価値を与えられるのだろうか。むしろ僕たちはこれから社会を作っていく僕たちと同じ世代や下の世代に向けたコンテンツを作っていくべきなのではないだろうか。心と価値観を揺さぶり、疑問を投げかけるようなコンテンツを。そのためにはノイズで溢れるカオスの渦の中に飛び込んでいくしかない。そこで渦にのまれ、様々な人々と出会い、刺激を受け、自分の発想の泉を満たしていくしかない。

 

 僕はまだそれらの街と、そこのカルチャーの氷山の一角しか味わっていない。何も知らないのだ。今まで特に知ろうともせずに嫌っていたのが悔しいが、まあ早い段階に気づけたからいい。もっと行って、カルチャーを貪り、新しいものを作りたい。